発表・掲載日:2024/09/29

特殊鋼の小さな町で世界の航空機エンジンをテスト

ーー島根県安来市・キグチテクニクスが変える試験片業界

 島根県安来市は、どじょうすくいの「安来節」と特殊鋼の「ヤスキハガネ」で知られる人口3万6000人の地方都市。この小さな町に、世界の五大航空機エンジンメーカーの仕事を獲得している町工場がある。地域経済を支える特殊鋼産業が国際競争に巻き込まれるなか、島根県全体で大手・中小・大学・行政が連携し「次世代たたらプロジェクト」を展開、航空機や新エネルギー産業への参入を目指してきた。研究開発力をつけた中小製造業は自立の傾向を強め、大手と町工場の新たな関係を築き始めている。

さまざまな条件で疲労試験を行う米MTS社の試験機を76台保有する

壮観な設備力。さまざまな条件で疲労試験を行う米MTS社の試験機を76台保有する(キグチテクニクス)


特殊鋼の企業城下町として繁栄

 安来市全体の製造品出荷額は2020年で約1500億円、その8割を鉄鋼業が占め、ほとんどが旧・日立金属の安来工場と取引先の仕事による。キグチテクニクスも1961年に「木口研磨所」として創業、日立金属の高級特殊鋼「ヤスキハガネ」の顕微鏡ミクロ検査試料を磨く仕事から始まった。日立金属の求めに応じて加工分野を拡大し切削や研削で試験片を製作、出荷前検査用だけでなく、研究開発用に使用後の機械から試験片を切り出す仕事にも拡大した。1988年には試験片を作るだけでなく引張試験など機械試験そのものも受託、研究開発・品質保証業務の一部を代行する立場で日立金属のものづくりを支えてきた。
 しかし、2000年代に入ると日本の製造業全体が閉塞感に包まれ、各地の産業集積地で大手発注企業が地域の町工場に自立を求め始めた。1991年に社名変更したキグチテクニクスは、2003年から日立金属安来工場以外の新規顧客開拓に着手。2005年には設備面でもマンパワーでも負担の大きい「疲労試験」分野にまで参入し、数千万回も負荷を与えるなど時間をかけて破断条件を探る試験を大手企業の開発・品質保証部門に代わってこなすようになる。
 新規分野として狙った航空宇宙分野は、まず参入の『免許証』となる認証規格JISQ9100の認証を2009年に、Nadcapを2010年に取得した。全国の町工場と自治体が参入を目指した「航空機産業ブーム」に先駆けた動きで、2014年にはGEアビエーション、2016年にはロールス・ロイスから試験所認定を取得、2018年までに五大航空機エンジンメーカーすべての認証を得た。
 同社の試験片製作は、寸法通り高精度に仕上げるのはもちろん、表面に残留応力を残さない仕上げの工夫、製品の履歴管理を徹底する品質管理システムといった総合力が顧客に評価されている。航空機そのものを作る日本の四大重工メーカーは、材料試験をするに当たり世界の認証を持つキグチテクニクスに発注、現在は「全社売上高の5割以上が航空機関連」(木口貴弘社長)に拡大した。

島根県は特殊鋼産業の変化にいち早く対応し産学官の協力体制を構築。(松江市の県庁本庁舎)

島根県は特殊鋼産業の変化にいち早く対応し産学官の協力体制を構築。(松江市の県庁本庁舎)

産学官で「次世代たたらプロジェクト」

 日立製作所は2021年に日立金属の全株式を日米ファンド連合に売却、日立金属は2023年に社名をプロテリアルに変更した。行政も地域経済を支える鉄鋼業の変化を前に早くから動き、2011年には県を潤滑剤として「島根特殊鋼関連産業振興協議会」を設置。産学官で航空機や新エネルギー分野への参入を目指す取り組みが始まった。
 2018年度には歴史的な製鉄法から名を取った「次世代たたらプロジェクト」がスタート。県が申請者となって内閣府の交付金事業に応募し「先端金属素材グローバル拠点創出事業」として採択されたものだ。島根県の産業振興担当部門は部署在籍期間の長い職員が多く、民間企業の現場を積極的に回っているうえ島根大学にまで職員を派遣する。その産学官の信頼関係をベースにした次世代たたらプロジェクトは、プロテリアル安来工場、町工場群、そして島根大学や松江高専が一体となり、特殊鋼の新たな技術開発と市場開拓に取り組む。
 同プロジェクトでは企業と大学の共同研究に対し、企業の拠出予算の3倍を県と国が提供する「4倍ルール」の補助金がある。2023年度までの6年間で5プロジェクトに対し約6億円を補助し、総額8億1300万円の事業を実施した。「研究開発の経験がない中小企業に最初の一歩を踏み出してもらう」(松本匡志産業振興課課長補佐)のが狙いだ。
 町工場群の先頭を走るキグチテクニクスは国の制度も活用、2016年1月から2019年3月にはJST(科学技術振興機構)から2億5000万円の助成を受け、1300度を超える高温熱処理と急冷が可能な大型熱処理炉を開発、本社内に設置した。特殊な熱処理技術により航空機エンジンや発電用タービン用に超高温に耐えるニッケル基超合金を開発するものだ。試験片の受託加工から始まったキグチテクニクスの試験片ビジネスは、評価試験の受託・代行に広がり、とうとう研究開発そのものに到達した。

JSTから助成を受け超高温に耐える超合金を研究(キグチテクニクス)

JSTから助成を受け超高温に耐える超合金を研究(キグチテクニクス)

試験片ビジネスの構造にも変化

 日本の町工場は事業所数の減少が続く。試験片関連でも廃業した町工場の仕事を勝ち残り組が引き継ぎ、事業規模を拡大する動きがある。試験片はさまざまな種類がJIS規格などで規定されており専門知識が必要。わずかな加工方法・精度の差で試験結果が変わってしまうため信頼できる町工場に仕事が集まり、顧客が提供する試験材料の引き取りを含めた短納期が求められるため小回りのきく近隣の町工場が頼りにされる。廃業した仲間の仕事を引き取り売上高が倍増する町工場もあるが、ほとんどは社員数10〜50人で試験片の製作に特化する町工場が多い。
 そのなかでキグチテクニクスは、社員数211人、顧客数500社以上、売上高は2023年度で36億円に達し毎年4億〜5億円の設備投資を行う。試験片の業界内では圧倒的な規模であると同時に、試験片の製作から機械試験そのものまで代行する一貫体制という質的な違いも大きい。
 既存の試験片加工事業者からは「試験そのものを代行してしまうと、顧客の研究開発担当者の仕事を奪うことになる」との声もあるが、大手企業自身が試験サービスを求め、町工場の役割が変わってきているともいえる。キグチテクニクスが自身でニッケル基超合金の熱処理技術開発に取り組むように、町工場の活動領域は研究開発寄りに広がり、大手と町工場が協力してものづくりの価値を高める時代に入ってきている。

無人で200種類の試験片を作り分けるシステムをメーカーと共同開発(キグチテクニクス)

無人で200種類の試験片を作り分けるシステムをメーカーと共同開発(キグチテクニクス)

 安来市で世界を相手にするキグチテクニクスの課題は人材の確保にある。県内外の大学や高専、高校での合同会社説明会に積極的に参加するだけでなく、講座の提供や講師の派遣など強いつながりを持つ。山陰地方の企業では給与水準も高い。また、試験片加工工程の自動化技術を工作機械メーカーと共同開発し、より高度な研究開発事業への人のシフトを試みる。自走式のアームロボットと材料供給のパレットシステムを2台の複合加工機と組み合わせたシステムは、200種類の試験片を無人で作り分けるという。
 「上場は目指していない」(木口社長)と規模は追わないキグチテクニクスだが、全国・世界に広がる顧客をカバーするにはM&Aも有効な手法になる。試験片ビジネスの世界では、すでに多くの町工場が「M&A」を考えている。大手顧客から研究開発の実務の一部まで任される新しく大型の町工場と、顧客自身の研究開発を機動力で支える従来型の強い町工場が、住み分けながら日本のものづくりを支えていくのだろう。

株式会社 キグチテクニクス
所在地:島根県安来市恵乃島町114-15
代表者:代表取締役社長 木口貴弘氏
設 立:1971年(創業は1961年)
社員数:211人
株式会社キグチテクニクスのホームページは、こちらから。

 
島根県「先端金属素材グローバル拠点創出事業(次世代たたらプロジェクト)」の概要は、こちらから。