発表・掲載日:2026/05/22

下町ボブスレーが示す町工場の海外進出パワー

しぶとい挑戦でW杯転戦するアジア唯一のそりに

 下町ボブスレーは、町工場の力を世界へ示そうとボブスレー競技のそりを作り始めて14年。累計150の町工場が参加して部品を無償製作し、のべ15台のそりを開発してきた。2022年以降は欧米製以外で唯一ワールドカップ(W杯)を転戦するそりとなり、2025年には国際ボブスレー連盟にメーカーとして登録された。世界経済の趨勢と同じく、新興のアジア中南米勢力が台頭し日本と欧米が地盤沈下するボブスレー競技のなかで、下町ボブスレーは日本代表として世界と戦っている。

イタリア代表バリオラ選手は下町ボブスレーでW杯を転戦(国際ボブスレー連盟IBSF提供)

イタリア代表バリオラ選手は下町ボブスレーでW杯を転戦(国際ボブスレー連盟IBSF提供)

イタリアチームの2番手選手が下町ボブスレーで世界を転戦

 イタリアのボブスレー代表チームは、2020年から2021年にかけて下町ボブスレーをテストし高く評価。チームで2番手パイロットのマッティア・バリオラ選手のそりに採用し、初戦の2022年1月6日欧州選手権・インスブルック大会でいきなり3位に入賞した。以来、バリオラ選手はW杯を中心とする国際大会を下町ボブスレーで転戦し、2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪に向けた強化選手として成長していく。イタリア連盟の申請により、下町ボブスレーのそりは国際ボブスレー連盟に登録された。
 ボブスレー競技の冬季五輪出場権は、五輪直前2カ月のW杯7大会14レースの成績を合算し、28チームに与えられる。単純に上から28人ではなく国ごとの複数参加枠があり、最上位2カ国は3チームずつ出場、次の7カ国は2チームずつ出場できる。イタリア2番手パイロットのバリオラ選手は、世界の2番手同士で上から9番目までに入ればよく、それは個人ベースでは世界32位程度に相当する(強豪国の4番手が個人成績優秀でも出場できず繰り上がるため)。バリオラ選手は前年シーズンの年間成績が23位(男子2人乗り)で、五輪出場はほぼ確実と思われた。

あと一歩で五輪出場できず。背景に新興国の台頭

 しかし、バリオラ選手はシーズン初戦の2025年11月22日W杯コルティナ大会で、参加32チーム中29位に沈んだ。五輪開催国の選手として必ず出場権を取らなければならないプレッシャーからか、操縦ミスで壁に接触しスピードを落とした。第2戦もほぼ最下位に低迷し、12月から下位クラスの欧州選手権に転じて上位に入り巻き返すが、最終的に惜しいところで五輪出場を逃してしまった。

冬季五輪ボブスレー競技の出場国

冬季五輪ボブスレー競技の出場国

 イタリアが2チーム参加枠の獲得に失敗した背景には、アジア・中南米チームの台頭がある。
 2010年カナダ・バンクーバー冬季五輪では、ボブスレー競技(男子2人乗り)出場国は欧米を中心とする伝統国で独占し、イタリアは2チーム、日本も1チーム出場していた。これに対し今回の冬季五輪では、中国と韓国が2チームずつのほかブラジル、ジャマイカ、トリニダード・トバコの7カ国が出場し、イタリアの2チーム目と日本の出場を阻んだ。世界経済におけるGDP上位国の変動を彷彿とさせる新興国の台頭だ。

世界のGDP上位国の推移

世界のGDP上位国の推移

そり製作はノウハウ蓄積の欧州が強く新規参入は困難

 ボブスレー競技で欧米と日本が地盤沈下する一方、「そり」のメーカーは依然、欧米勢の独壇場だ。欧州には元選手などがボブスレーを作る小さな工房がいくつかあり、なかでもラトビアのBTCはどのチームでも入手できる優れたそりとして普及する。強豪・ドイツチームは国の機関であるFESのそりを独占的に使う。このほか米国など一部の強豪チームにはBMWなど欧米の大手自動車会社がそりを供給する。
 そりの構造は、国際連盟が各部の材質や構造、寸法の許容範囲を細かく規定している。道具で大きな差がつかないようにするためだ。このため各国チームとも革新的なアイデアは採用できず、フレームやボディのたわみでいかに振動を吸収するか、といったわずかな違いで100分の1秒を競う。テストの繰り返しによるノウハウの蓄積が性能を左右するため、地域内に多数の滑走コースがあり長い歴史を持つ欧州メーカーが圧倒的に有利で、他地域からの新規参入は極めて難しい。

ボブスレーそりの製作は新規参入が難しい世界

ボブスレーそりの製作は新規参入が難しい世界

一体削り出しなど最高の加工技術と顧客ニーズへの対応力

 日本には「長野スパイラル」しか滑走コースがなく、それも2018年に閉鎖された。そり開発に不利な環境でも下町ボブスレーが世界と戦える理由の一つは、日本の町工場の加工技術の高さにある。フレームのなかで最も荷重がかかる重要部品「センターブロック」は、欧米のそりが鉄板を折り曲げる板金製なのに対し、下町ボブスレーは航空機やF1マシンの部品と同じ一体削り出し。金属の塊から極限まで薄肉・軽量に部品の形状を削り出し、高い強度と精度を持つ。
 もう一つの理由が、町工場が得意とする顧客と連携したものづくりだ。ドイツ人技術者ペーター・ヒンツ氏とのイタリアチーム向け共同開発では、元選手であるヒンツ氏のアイデアを元に下町側で部品を設計した。あるいはイタリアチームの「4種類の硬さの違う部品を試したい」といった要望には、下町側で4種類の硬さを設定し、それぞれ材質・形状を変えるのか、熱処理で金属の特性を変えるのかなど、最適な加工方法を選定している。プロジェクトの開始から14年間、こうした地道な開発作業を続けてノウハウを蓄積し、W杯で最高5位に入るそりを作ってきた(2024年第6戦の第2滑走)。

一体削り出しのセンターブロック

一体削り出しのセンターブロック

困難に負けない行動力で「しぶとくやってます」

 もう一つの要素は、困難に負けない町工場のバイタリティとしぶとさだ。
 2012年の1号機は、全日本選手権で優勝し、当時の日本ボブスレー連盟のテストでは比較したドイツ製そりと同等のタイムを記録したが、担当者の評価は「まあまあかな」だった。無名の中小企業が作ったそりは、同等では使ってもらえず、ロシア・ソチ五輪では選手の個人スポンサーが提供した海外製そりが採用された。
 2015年11月、下町ボブスレーは日本連盟から2回目の不採用通告を受ける。それでも諦めず、新たに海外に目を向けた。英語のオファー文書と資料をまとめ、まったく伝手のない海外の3チームに送り、最も早く返事が来たジャマイカボブスレー連盟を日本に招くと長野テストですぐに採用が決まった。そこから2年間共同開発を進め、完成した下町ボブスレー10号機は、韓国・平昌冬季五輪目前の2011年11月5日、北米選手権ウィスラー大会で南国ジャマイカにボブスレー競技で初の銀メダルをもたらした。
 しかし、2012年1月、新たにジャマイカチームに参加した女性監督が、現役時代から関係の深いラトビア製のそりを使うと宣言する。強烈な個性の女性監督は平昌五輪の数日前にチームから解任されたが、ジャマイカチームの女子代表選手はそのままラトビア製そりで五輪に出場し、19チーム中18位に終わった。
 下町ボブスレーは、そんな数々の理不尽な仕打ちを乗り越え、世界を相手にネットワークを広げる行動力によってイタリア代表チームとの契約を実現した。下町ボブスレーの機体には数多くのスポンサー企業のステッカーのほか、通常は見えない裏側に「しぶとくやってます!」とのメッセージを貼っている。

イタリアチームに提供したそりの床面にはメッセージが

イタリアチームに提供したそりの床面にはメッセージが

高度成長期の日本企業と同じバイタリティ

 下町ボブスレーが示したバイタリティは、かつて高度経済成長期の日本企業が持っていたものだ。ホンダは1960年代、北米で「バイクはアウトローのもの」との概念を払拭するところから市場開拓を始めた。無謀と言われた北米での現地生産は、1970年代に2輪車工場、1980年代に4輪車工場の建設に挑戦。労働者を「アソシエイト」と呼ぶ意識改革や、現地の部品調達先の経営指導といった基礎から始め、困難なプロジェクトをやり遂げていった。
 あの頃の日本企業と下町ボブスレーに共通するのは、次の4つではないだろうか。

 ・改善改良の不断の努力
 ・理不尽に負けない精神力
 ・世界へ打って出る行動力
 ・仲間を集める求心力

 その反対で、過去の成績にあぐらをかき、理不尽な対応の応酬に明け暮れ、組織内の勝ち負けだけに固執し、孤立して情報を得られないーーいま、日本にはそんな組織が増えていないか。

シュプールボブが描く未来の希望へ

 イタリア代表のバリオラ選手は、五輪予選で最下位に近い順位から急激に追い上げ、2チーム枠を争ったオーストリアの選手に一時はわずか31ポイント差まで迫った。最終戦の欧州選手権4人乗り競技で2位に入る躍進を見せたが、オーストリア選手もW杯でトップ10に入ろうかという会心の滑りで逃げ切った。
 下町ボブスレーは、また五輪に出られなかった。しかし、過去の理不尽な不採用通告と違い、白熱したスポーツの勝負の「結果」に下町メンバーの表情はどこか明るい。
 2026年2月に開幕したミラノ・コルティナ冬季五輪。競技の開始前にコースの安全を確認する「シュプールボブ」に、バリオラ選手は開催国のスタッフとして真っ赤な下町ボブスレーで登場。競技本番の選手を上回るスタートタイムでコースを滑走した。下町ボブスレーが五輪本番のコースを滑走する姿を見ながら、下町メンバーは2030年フランス冬季五輪に向けた新たな構想を練り始めている。



 
下町ボブスレープロジェクト公式HPはこちらから。

町工場総研代表の奥田は、下町ボブスレープロジェクトに参加しています。
「下町ボブスレー 復活のゴール」(朝日新聞出版 細貝淳一/奥田耕士著)もぜひご覧ください。