発表・掲載日:2023/06/28

町工場とは何か?

ーーものづくりを支える個性派集団は大型化と自立の傾向

 町なかにある小さな工場を、日本人は愛情込めて「町工場(まちこうば)」と呼びます。町工場にはさまざまな形態、規模、特徴があり、日本の強みである「ものづくり」を支えてきました。現在の町工場は、引退した仲間の仕事を引き継いで企業規模の大型化が進み、果たす機能も設計から手がけるなど高度化が進んで自立の傾向を強めています。豊かで個性に富んだ町工場の世界をご紹介しましょう。

町工場は何を作っている?|受託加工から総合プロデュース型まで

 町工場は大手企業と共存共栄する存在です。それは昔も今も変わりません。ただし、かつての町工場が「下請け」と呼ばれ特定の親会社向けに部品を量産していたのに対し、最近の町工場の多くは数十社から数百社の顧客を相手に付加価値の高い部品を多品種生産し、設計開発から参加するケースも増えるなど「自立」の傾向を強めています。
 この変化は、1990年代以降に大手企業が生産拠点の海外シフトを進め国内の仕事が減少したことや、2008年のリーマンショック時に仕事が激減したことを受けて、町工場の多くがリスク分散のため新規顧客開拓を進めた結果です。
 最近の町工場がどんな仕事をしているか、ビジネスモデル別に見てみましょう。

町工場が作るのは受託加工の部品から自社ブランド製品、総合プロデュースまでさまざま

左)今野製作所は1976年、重量物搬送の顧客の要望で開発した油圧爪つきジャッキ「EAGLE」で市場を確立
右)I-OTAは町工場ネットワークで完成品をプロデュース。農業機械の斜面草刈機など幅広い分野で製品開発

受託加工型

 受託加工型の町工場は、顧客から受け取った図面通りに部品を加工します。それぞれの町工場が専門分野ごとに高度な加工技術を持ち、「切削加工→曲げ加工→穴あけ加工→めっき加工」など「仲間まわし」と呼ばれるリレーで一つの部品やユニットを作っていきます。図面通りに加工しますが、その図面に不備があれば顧客に指摘して改善提案まで行うプロ集団です。
 都市部の町工場を中心に多品種少量生産型が増え、大手企業の生産設備や次期製品の試作部品などを作っています。地方都市や企業城下町では町工場が部品の大量生産を続けており、海外ではできない品質・コスト・納期への対応や継続的な改善提案を顧客から高く評価されています。また、生産台数の少ない産業機器の部品を中量生産するのも町工場の仕事です。

自社製品ニッチトップ型

 小さな町工場でも強い自社ブランド製品を持っている会社があります。その多くは「油圧爪つきジャッキ」「金型を動かす油圧シリンダー」など特定の狭い市場で圧倒的な高シェアを持つ「ニッチトップ型」の企業です。最初は受託加工型としてスタートした町工場が、社長のアイデアや顧客の要望をもとに装置を作り、この装置がヒットして自社製品として育つケースが多いようです。
 最近は、ものづくり系のベンチャー企業と町工場が連携してアイデアを製品化するケースが注目されています。大学発ベンチャーなどの「理論」を、町工場の豊富な経験で「形」にする連携プレーです。ものづくり系ベンチャーの中には戸建て住宅をオフィスに使うところもあり、こうなると形態的には町工場とほとんど同じ。独創的な新製品が小さな町工場から生まれています。

総合プロデュース型

 顧客企業に代わって製品の設計から部品加工の手配、最終組み立てまで全て担当する町工場です。昔は「メカ屋」などと呼ばれ、アイデア勝負型の少数派町工場でしたが、最近は発注側の大手企業の購買部門が部品別の手配をやめて丸ごと委託する傾向にあるため、この総合プロデュース型町工場が増えています。
 総合プロデュース型は、板金関連の町工場に目立ちます。これは装置の筐体(ボディ)を作る仕事をしながら、中に収める制御回路や機構部品など全てを統括することが多いためです。最近は切削加工などさまざまな分野の町工場が総合プロデュース型に事業を拡大、複数の加工分野の町工場が集まってグループを形成するケースなど、広がりを見せています。

従業員規模で見る町工場|3人以下が半分だが今後は大型化も

 小さい町工場ほど数が多く、従業員3人以下の町工場が全体の半数近くを占めています。ただし、引退した町工場の仕事を仲間の町工場が引き継いで大型化する傾向が出てきています。
 2019年の工業統計によると、正規調査対象の製造業事業所(4人以上)18万1877社に対し、推計した3人以下の事業所数は15万6361社で全体の46%を占めました。9人以下まで広げると全体の65%、19人以下で8割、49人以下で9割を占めています。
岩井製作所は一人で新幹線の基幹部品など社会を支えるものづくり

岩井製作所の岩井仁さんは一人で新幹線の基幹部品など社会を支えるものづくり

従業員3人以下

 1950年代後半から80年代前半にかけての日本経済の成長期に、町工場の職人は腕を上げると機械一台で独立し、のれん分けの形で自分の会社を構えました。腕のいい一人親方の町工場や、独立したお父さんと経理担当のお母さんと通いの職人で構成する3人の町工場が数を増やしていったのです。
 現在、3人以下の町工場は、職人の腕が問われる汎用旋盤や溶接といった加工分野に多く、小さいとはいえ確かな技術でものづくりを支えています。引退するベテランも多いですが、若い世代が後を継ぎ、技術を活かした芸術作品やBtoC商品を作るケースも増えています。

従業員4人〜99人

 従業員を雇用して企業らしい形態になってきます。30人を超えると社長一人の奮闘では運営が難しくなり、総務担当が置かれ、新人を定期的に採用するなど企業組織がしっかりしてきます。高度成長期に創業した町工場が成長して社長が2代目から3代目4代目の若手にバトンタッチしつつあり、若い社長を中心に少数精鋭で機動力を発揮、他の町工場とグループを組んでさまざまなプロジェクトを立ち上げるなど、メディアにもよく登場する町工場の主力ゾーンです。

従業員100人以上

 「町工場の大企業」です。2019年工業統計では従業員100〜299人は、製造業事業所数全体の3%しかありません。製造部門のほかに開発部や営業部、総務部といった組織が整備され、海外に工場を展開し、自社ブランド製品を持つところが多いです。従業員100人で売上高20億円・営業利益2億円(すなわち社員1人当たり2,000万円を売り上げ営業利益率2ケタ)というのが、町工場の優良経営モデルです。
 法律上、製造業は社員数300人・資本金1億円までが中小企業ですが、500人近くなっても「うちはまだまだ町工場」と微笑む社長さんもいます。

建物で見る町工場|明るくカッコよく究極の職住近接

 1階が工場で2階が自宅という究極の職住近接が町工場のスタンダード。ただし、若い人材を確保するために明るいデザインのミーティングスペースなどを備え、高精度な加工のために空調で一定の室温を保つなど、カッコよく快適な工場が増えています。
町工場の建物は長屋形式や工場アパートも

左)「町工場長屋」は1階が工場で2階が自宅の建物がコの字に並ぶ
右)工場アパート「テクノWING」は地価の高い大田区でも町工場の集積を可能に

自宅の1階が工場

 「町工場」と聞いて多くの人がイメージするのがこのタイプ。敷地面積30坪(約100平方メートル)程度の戸建て住宅の1階が作業場になっている「究極の職住近接」です。ただし、よく見ると普通の家ではなく、大きくて重い工作機械を設置できるように1階部分の天井が高く、コンクリートの基礎が強化され、開口部の大きな出入り口があります。
 高度成長期に事業所数が急増した東京都大田区などの町工場集積地では、このタイプの建物が短い私道を挟んでコの字型に並ぶ「工場長屋」がたくさん作られました。

集合型の町工場

 工場アパートと呼ばれ、地価の高い都会に見られる形態です。ビルの中に小分けした工場スペースが並び、重量物をフォークリフトごと運べる大型のエレベーターや、共同で利用する会議室などを備えています。産業振興を目的に行政が建設するものが多いですが、最近は民間が開発した工場アパートも登場しています。

郊外に立地する大型工場

 いわゆる普通の工場です。最近は高精度な加工のために空調で室温を一定に保つ工場が増え、材料の搬入や製品の出荷に使う荷捌きスペースとの間をビニールの昇降カーテンなどで遮蔽しています。都心の小さな町工場が、郊外や地方都市に大きな分工場を持つケースも増えており、都心で試作した部品を分工場で量産するといった役割分担をしています。

これからの町工場|大手とのコラボで日本のものづくりを活性化

 いま勝ち残っている日本の町工場は、円高、バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍という数々の危機を乗り越えてきた強者ばかり。優れた加工技術を持つのはもちろん、設計・開発まで守備範囲を広げ、現場ならではのアイデアと機動力で大手企業のものづくりをサポートしています。
 これからの町工場は、企業規模を拡大し、開発力を高め、活動エリアを世界へ広げていくでしょう。一部の大手企業はそんな町工場の力に注目し、町工場とのコラボによって新たな製品を生み出す取り組みを始めています。大手企業から見た町工場は、もはや相見積もりで買い叩く存在ではなく、ものづくりの対等なパートナーになりつつあります。
 町工場総研は、そんな新しい町工場の姿を取材・紹介し、日本のものづくりの活性化に貢献したいと考えています。