発表・掲載日:2025/06/15
日産が追浜工場を閉鎖しても町工場は困らない
ゴーン調達改革で自立した町工場の「現在」
経営再建に取り組む日産自動車が、追浜工場(神奈川県横須賀市)の閉鎖を検討との報道を受け、地域の町工場に大打撃かとの論調が目立つ。しかし、実情は違うようだ。「日産のために頑張ろうという気持ちは随分前に消えた」「日産一社依存をやめて新規顧客を開拓してきた」「あちらがコストコストだから、新規の技術提案はやめた」ー。2000年のゴーン改革で調達先を半減させた日産は、切った町工場はもちろん、残った町工場からも技術面の協力を得られなくなり、20年かけて競争力を落としてきた。日産に関係する町工場はそう口をそろえながらも、「今こそ日産と一緒にいいクルマを作りたい」と話す。
日産が追浜工場閉鎖を検討しているとの報道に波紋が拡がる
調達先1145社の半分を切ったゴーン改革
青木製作所(横須賀市浦郷町)は、1945年に横浜で航空機部品の工場として創業し、鋳物切削部品を手掛けてきた。1953年に日産の協力工場となり、1961年に日産が旧海軍工廠の土地の払い下げを受けて追浜工場を新設すると、日産から敷地の一部を譲り受けて現在地に移転した。マニホールドなど吸排気系の部品を全国各地の日産の組み立て工場に供給し、2002年には社員数300人、100%日産向けで年間売上高は100億円に達していた。
しかし、カルロス・ゴーンCOO(当時)による2000年からの再建計画「日産リバイバルプラン」は、3年間で購買コストを20%削減する目標を掲げ、1145社あった調達先を半分の600社に絞り込む。「まとめて発注する代わりに安く」との考え方だ。青木製作所は切られる側に仕分けられ、日産との直接取引は一気にゼロとなる。他社経由の仕事が一部残ったものの経営は厳しく、3つあった工場を追浜に集約して経営再建に取り組み、現在の社員数は5分の1の65人となった。
青木製作所の吸排気部品は日産の全国の工場へ供給されていた
残った町工場でも日産向け減少し自立の道へ
サンテック(横須賀市内川)は1953年に旧海軍工廠の仲間4人が技術を平和転用する会社として設立し、金属プレス加工を手掛けてきた。1960年代に日本ラヂエーター向けの仕事を始め、日本ラヂエーターは1988年に「カルソニック」に社名を変更、日産を代表する大手部品メーカーとなる。サンテックは1990年代のピーク時、100人を超える社員を抱え、排気管やマフラーの遮熱板などほぼすべての製品をカルソニック経由で日産に納めていた。
ゴーン改革の中でもカルソニックはサンテックを切らなかった。しかし、カルソニックをはじめとするティア1の大手部品メーカー自身が、日産の販売不振による受注量減少に悩むことになる。日産の改革と連動してアライアンスを繰り返し、カルソニックから「カルソニックカンセイ」に、2017年には日産が全株を売却し外資系の「マレリ」になった。マレリは現在、日産と同じく経営再建に取り組む。サンテックは顧客が日産以外の仕事を拡大するのに連動し、トラック向けやエネルギー関連など新規分野を拡大、現在は44人の社員で日産向けは1割に満たない。
サンテックはプレス加工の自動化技術も自ら開発しロボットを使いこなす
町工場から日産への技術協力が失われ開発力に影
日産の調達改革は、新車や生産設備の技術開発に影を落とした。青木製作所が得意とする鋳物の切削加工部品は、エンジンやサスペンションなど自動車の各部に多用される。溶かした金属を型に流し込んで固める「鋳物」は、ひとつ一つに微妙な差があり高精度の部品を仕上げるのが難しい。その鋳物部品を1000分の数ミリメートル台の高精度で加工する青木製作所は、日産が海外工場で新ラインを立ち上げる際にはスタッフ派遣を求められる関係だった。高性能スポーツカー「GTR」の吸排気系を軽量化する作業に協力したこともあり、形状にばらつきがある鋳物を安定して保持する治具により、マニホールド裏側の無駄な部分を極限まで削り取る加工を提案した。
そんな共同作業は、調達先の仕分けとともに失われた。ゴーン改革の発表当初から、調達先の絞り込みは日産の技術開発力に悪影響を及ぼすのではないかと指摘されていた。日本の自動車業界では、各分野で高い専門性を持つ中小製造業が完成車メーカーと共同で技術の改善に取り組んできた。部品の作り方を変えて性能を維持・向上させながら製造コストを低減する「VA/VE(Value Analysis/Value Engineering)」はもちろん、まったく新しい技術の確立でも関連する中小製造業が必ず関係している。
*大手と町工場の連携に関する他のレポートをご参照ください
「テスラが提唱するEV車台の巨大アルミ部品一体成形に日本の町工場連合が挑む」
「金型制御の消費電力を8割削減(増える町工場のBtoB自社ブランド製品)」
日産自身、中小製造業との技術的な連携が必要なことは十分認識しているものの、経営悪化が長引くなか、調達の現場では相見積もりによるコスト削減が重視された。トヨタやホンダがさまざまな開発テーマで町工場に参加を求めているのに対し、町工場総研が取材した多くの町工場は匿名を条件に「日産の仕事は10年以上変わらない図面をもとに相見積もりにされる」「生産ラインの改善にあまり投資しない」「現場の社員は優秀で真面目な人たちなのに残念」と証言する。
青木製作所の応接室には日産との最初の取引を記念する昭和28年の請求書が
自立し技術力を強化、「日産にがんばってもらわないと困る」
青木製作所は2016年、鋳物メーカーのコイワイ(神奈川県小田原市)から出資を受け、経営の立て直しを進めた。コイワイは社員110人で、鋳物の砂型を3Dプリンタで成形する積層造形技術も保有する。コイワイグループは、鋳物製造から切削加工までの一貫対応力と最新の3D造形技術によりさまざまな業種の新規顧客を開拓し、青木製作所は2023年12月期に念願の黒字転換を果たした。社内の若手社員による自社ブランド製品の開発プロジェクトも始め、BtoC分野への進出まで検討する。サンテックも次の市場を開拓するため、大学発ベンチャーと連携し、炭素繊維強化樹脂(CFRP)をプレス金型で簡易に成形する技術の開発に取り組む。
高い技術力を備えたコイワイグループでは昨年、日産との直接取引が始まった。青木製作所にとっては約20年ぶりの日産の仕事だ。同社の応接室には、日産との最初の取引を記念する昭和28年5月5日付の請求書が額縁に入れて今も飾られ、壁にはGTRの写真が張られている。サンテックの中澤朋博社長も「当社は横須賀の自動車産業とともに発展してきた。日本の自動車産業の持続発展のためには、日産に頑張ってもらわないと」と話す。国際情勢が不透明ないま、日本経済を支える自動車産業が健全さを保つためには日産にがんばってもらわないと困るのだ。
日産がもし追浜工場を閉鎖したら周辺の町工場が困るのではなく、困難を乗り越えて自立した強い町工場が日産復活のために技術面の協力を惜しまないとの立場をとっている。ゴーン改革をまねて多数の町工場を切り捨てた大手メーカーは電機業界など他産業にも多い。強い、業績好調な日本の大手メーカーほど活用している「町工場との共同開発」。その重要性を、日産の苦境が浮き彫りにしているようだ。
青木製作所の水野貴之最高執行責任者は「日産自動車と共に歩んできた1社として、これまでの仕事を誇りに思っている。劇的な日産復活を心待ちにしている」と話している。
*関連記事 STORY013「大手の工場閉鎖を乗り越えた横須賀のものづくり」もぜひご覧ください。
*日産自動車は2025年7月15日、「追浜工場における車両生産を2027年度末に終了する」と発表しました。同地区にある総合研究所やテストコース、衝突試験場などは事業を継続するとのことです。
株式会社青木製作所
所在地:神奈川県横須賀市浦郷町5-2931
代表者:代表取締役 小岩井豊己氏
設 立:1948年
株式会社 青木製作所のホームページは、こちらから。
株式会社サンテック
所在地:神奈川県横須賀市内川1-8-37
代表者:代表取締役社長 中澤朋博氏
設 立:1953年
株式会社サンテックのホームページは、こちらから。
